心象万華鏡・97/短歌

いまもまだわたくしに棲むヤマアラシ きつとかうして土に寝そべる  

溶けさうで、溶けない薄氷 風向きがわづかに西へゆきたがつてゐる

言ひたくて、言へない きのふ思ひ出は誰にも告げず冬眠しました

方舟にひとつ宛がはれた空が謡つてくれる子守唄 霜

笹舟にのせて流した呪文 会ふための目印、失くせないまゝ

比例してゐるのは降水確率で 十年先の傘はいらない

雨傘は臆病者のバリア まだ海の彼方を知りたくはない

抽斗に詰め込んだのは健忘症(アムネジア) 沈殿してゆく過去よ、やさしく

真昼にも廻り続けろ、北斗七星 氾濫をする叫びと震へと

天窓に西日は射せない 肩口の角度がすこしなだらかになつて

左肩あがりの文字が遮断機の向かうに見えて、消えた 耳鳴り

血脈がつらねるものゝ意味だけを求めて 風のうなりの底へ

暗闇を闇色に塗るナンセンス 迷子の影がうしろに伸びて  

さゝやかな充足 冬の庭にゐて耳の奥には光の吐息が

あたゝかい南ばかりが南ではない 裏側の見えない月に

雪からのこたへ どれほど滾らうとやがてゆつくりおやすみなさい

立つてゐる土が地面ぢやなくたつて たゞ羽化を待つ蛹は死なゝい

西風にもうほどけさうな哀しみがなほも夢見る雪原 早春

瞬間はたぶん平面 星も月もない夜にゐて、とほき流氷

海猫に育まれゆく焦燥と 陽射しあるいはけふの北風

絶対といふやるせなさ 薄氷はまだ隠せないぼくの境界

一途さ呼ばれる凶暴だけ抱いてたゞ蹲る さよなら、氷柱

重なりのもろさ、さうして果てしなさ 息遣ひほどの和音、世界は

永眠をなほ繰り返す太陽に 観てゐる窓に見られてもゐる

切り取つたカタチで拒んでしまふ もう窓のうちから風を探さない

指先をすべらせてゆく裏側に 感傷ひとつ置き去りにして

戸惑ひは最初からなく 迷ふといふ曖昧さとまだ隣り合はせに

魅入られてちひさな鬼を喉元に宿して 星が今宵も沈む

許せないといふほどぢやない狭量を匿ふ両手がある 火が綺麗

淡すぎる黄色をしてゐるジレンマを知つてゐるから 夏を疎んだ

瞑る眼の向かうは極彩色 何に焦れてゐるのか判らないフリでも

溢れだす 対向車線の聞こえない呟きを追ふ鼓膜が渇く

いつだつて会へない背中があるやうに 前、このあまりにも切ない位置に

世界中の痛さで責められたい夜がまた来てゐます オリジル・シン

涙もろくもうなくなつたこの頃はたゞ夕焼けに息を殺して

可能性に酔つてゐられたモラトリアム ジャングルジムがちひさくなつた

越えたくて、越えられなくて、でもいつも越えてゐる また指を伸ばして

隔たりを崩した先に見えてゐた海 背びれから同化がしたい

息遣ひが重なりさうで重ならない ぼくはすなはち二百の海里

真ん中は陸ではなかつた 生まれつきの傲慢といふヒトの限界

蟻たちを凝視してゐる、神として、否、蟻として この同心円

両耳を塞ぐ 教へて、違和感は本来どつちに覚えればいゝ?

剃刀を這はせるやうに這はせずに 背徳すらもぼくの外側

どこまでを庭としようか 永遠にでない答への問ひは「外とは?」

外と呼ぶ内側でした テーブルにマトリョーシカが寝転んでゐる

秒針のやうに世界は境界を産みだし続ける これは感傷

中間といふ幻想で中和する痛み 氷河はそれでも進む

雨雲が北上するといふことは雨上がりもまた北上 輪唱

好きといふ実感なんて 透明な摩擦が積もる前に熔けたい

低気圧に窓がわなゝく夜 いまは胎児の記憶といふ羊水にゐ




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