心象万華鏡・91/短歌

声になる瞬間、息は死ぬのだらう 蝶よ、おまへの檻こそ日向

喉元に極点みたいな潔さを匿つたまゝ 銀色の雨

懐かしい劣等感のやうでした マイナス極に粉雪は舞ふ

後ろ向きな屈折 亀の子タワシとかへちまみたいな悲喜はこもごも

水棲の領域としてゝのひらに掬ふ空虚に吐息は濡れて

生まれ落ちた真実 水溶液といふ目には見えない境界がある

込みあげてしまふ言葉はみづいろで三連符 また天気雨です

チェンバロの響きみたいな空耳は花びら、あるいは雪の結晶

てのなかの殻付きクルミといふ劣情 宥めるよりも、縊つてあげる

溶けかけた氷がいまもすゝり泣くソーダ水 ねえ、情けなさが好き
 
ぼくはぼくの境界線を維持しつゝ刹那に消える閃光だから

根雪には根雪の愉楽 溢れさうでまだ溢れない感情のやうに

ひとしづく滴つてゆく闇が溶けて あの日がすこしづゝ石になる

化石から零れる砂礫が地に降つて けふの記憶が眠る瓶詰め

ひと月の鬱屈、そして後悔は束ねた新聞 思ひは重い

天のしたで地のうへにゐる、それだけが確かさならば Canaan is here

幾兆のわたしも、とほき始祖たちも 例へば冬の風が吹かうと  

冬といふプールに浮いてゐる 老いは沈めないつて現実にある  

問題があるとしたなら問題がたぶんないこと 冬の海・あを

鬱蒼と生ひ茂りゆく電文を記し続けて 刹那の思索

間延びする速度をわざと測らずに雲を数へた 眠れ、ヤマアラシ

もう解毒する気もなくて 川底に生えた水草みたいな日々に

晴れの日は両手を緩く繋ぐ 輪のなかで歴史をなぞる渦潮

輪唱に追ひかけてられてゐた頃は追ひかけるつて知らなくて 爪

褪せた色のページの折目へ明日には下がつてしまふ微熱を 霜夜

星空を辿つた先の稜線に、頷くペルソナ・ノン・グラータと

キャンディを頬ばるやうに 眠剤は思春期といふ不透明の底

靴底で抱きしめてゐる鬱屈をみづたまりへと逃がして 指きり

コンクリートすなはち具象 ぼくたちは創つて壊すメビウスリング

淋しさを積もらせ、そして錆びてゆくことが生なら 天窓に雪

哀しみの演算スピード なくならない集積回路の涯の温室

哀しみが苦しみよりもうはまはり 韃靼蕎麦といふ赫もある

少女期の埋葬をした朝 もしも東へ東へゆけたら、と思ふ

もし例へば明日が来ないとしたならば じんはり熱いぼく、少数派

千億の忌日は巡る ぼくといふ土ひと塊にみづをください

澄んでゆく冷たさ 淀むつもりなどないのに罪悪感は消えない

海流を宿してしまふ肌 とほい地鳴りにいまも鼓膜は笑ふ

和音からほどけてゆける憂鬱を空へ放つて わたしの踵

寒い日の日向 さうして勇退のひとの背中も地球と廻る

箱庭を砂場に戻す 透明な檻に時計と二次関数を

オリジナル、教へてください原初とは何処から、何時から? きつとこゝから

突き詰めてしまへばミトコンドリア・イブ 地球儀模様のアド・バルーン、浮け

万物がいまなほ繋ぐリレー・バトン“生命” 濃縮還元つて何?

必要性、すなはちレゾン・デートルはゐてくれること、会へたつてこと

人の世の塵も芥も積もらせた巣穴 わたしの糸が緩んで

きんいろが秋よりはぐれやすさう、と言ひたくなつた 猫の遺伝子

近ければ安心、そして不安 もうそれほどいらなくなつた手袋

手放さず手を繋ぎたい痛み 地の裂け目から伸び花はなほ咲く

やはらかなカーブを描く独善を抱卵してゐる小鳥 答へは

そこへ降ることも選べず降る雪よ 違ふ名前にかつては焦がれた










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