心象万華鏡・87/短歌


修羅の目が三千世界の最果てを見てゐるのなら もつと散れ、花よ

けふ分の生命維持に添へられた蜜柑 冷たくされるのが好き

見るだけと思へる牧場 牛たちは牛の瞳でヒトを見てゐる

やはらかい野生 例へば雑踏で聞いたみづいろとか、琥珀とか

裂けてしまへ 見えすぎるから何ひとつ見えない闇は絹の光沢 

脳内の密林 濃霧注意報発令させてしまはう、けふは

解き放つ境界 手前に漂つてゐた熱すらも森閑として

置き忘れて来たのではなく 世界樹の根元へ落として来たのは自分

とほい日が雲母のやうにはらはらとぼくから落ちて けふヒキガエル

頑なゝ結び目 電車を降りる時、巧く飛びだせないんだ、ぼくは

いつの間に、なんて訊くことさへなくて 掲示板、もう雨が好きだよ

焼き尽くすしかできない火 涙とはためらひがちに煙らせるもの

新しい地層のやうに肺胞は軽く震へる 霜の降る夜

真空を閉ぢ込めてゐる鼓膜 もう雪の果てから哀しみが来る

励起してしまふ頚椎 夜が明けるよりもとほくへ早く、と祈り

うつりたくてうつつた癖が消えてゆく 冬の後にも雪は降るから

偏愛は軽く乾いた緊張感 豆電球を握つて、開いて

張り渡す糸が撓んで 冬空が近くなるほど痛い耳たぶ

擦過傷 そんな響きが沈殿し、けふ珈琲はほのかに甘く

やはらかく刺さつたまゝの棘でした うすもゝ色を濁らせて、朝

折り目だけ淡く光つてゐる闇が波打つてゐる 鼓動が速い

両腕を緩く廻して囲ふ月 朽ちてゆくほど鮮やかな自我

得ることは失ふことで、往くことは遠ざかること 回帰する、無へ

真摯さと好事を吊るすやじろべゑ ごめんなさい、は真つ直ぐ言はう

わたくしはわたくしに上書きをする 開いてゐても閉ぢてゐた日々よ 

生まれたてのひよこを包む手の加減、判らなかつた 殻付クルミ 

いつまでも蛹ぢやゐられない訳を教へておくれ 残酷な月よ

心音の等間隔を聞いてゐた日々 いまぼくはぼくだけあやす

あつたかい沼のやさしさ 怖がつてしまひさうになる闇へ浮かべて

酸つぱさはナンバリングをされてゆくそれぞれなりの情熱 おはじき 

パイ生地の層が崩れて 閉ぢた眼に再現されるビル群の窓

縛ることで縛られてゐた棘 風を散りばめてゆく午後、伏せ目がちの 

昏睡を兆し脳裏に散る水泡 指しやぶりした熱、忘れない

垂直に交はることのやるせなさを告げる時針の影 湿るこゑ

やはらかな恐怖は午睡 侵されてしまふ輪郭、あるいは自我の

相似より相違と呼ばれるぬくもりが静かに積もる 朱夏の暮れどき

もうとほいをさなさといふ残虐をのせたくちびる 霜柱、踏んだ

残骸はより軽やかに啼くだらう 例へば秋のはじめみたいに

後悔を余白に指で塗りこめて、断罪をする 木枯らしの夜

ない、といふあるを満たして境界は分母と分子を繋ぎゆく地平

鳥になり世界を埋める黴として繁る樹海を見る 哀しみは

透明なものを煮沸し、透明はたゞみづからの切なさを壊して 

土さへもたぶん仮初なのだらう 半覚醒の大陸に立て

膝まづくこの瞬間に嘘はなく また絹糸は撓むのだらう

ゆるやかな傾斜を描き消えるなら、せめて光を示せよ ルーツ

インセスト・タブー未満の豊穣のひとしづく もう年がとれない

リファレンス・トーン 聞こえる映像はいつもいつでもあの深いあを

こめかみが脈打つほどの檄ひとつに、マリンスノーを積もらせて 葬

薄靄をいちまい隔てわたくしの木霊 脳波はたゞひとすぢに

怒りとか、哀しみだとか、嘆きとか、その境界に咲きなさい、蓮










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