心象万華鏡・68/短歌


刻印といふ名の証、わたくしの 怖さを知つてゐる向かう側

子午線のあたりがきつと真昼だと教へてくれる波 アコーディオン

曖昧な日向と日陰の真ん中に踵をつけた 野生の名残

直列といふ切なさと、並列といふ安心と わたしの記憶

組み立てた法則なんて 絡み合ふ蔓をたどればこゝへ帰れる

懐かしい連絡網が酸つぱくて 宇宙移民のひとつの末路

空耳が尖がつてゐる擬音より冷たい響き 月蝕の夜

封蝋がはづみではづれてゐた手紙 晩夏の光と、初秋のみづと

わたくしの奥に封じた地底湖にうつ伏せる また火を聞く時刻

舌先の特別やはらかい場所でなぞつた犬歯 砂嵐は...、くる

軟膏の桃の香りが消えなくて むかしは嫌ひだつた鉄棒

半袖のうへに着てゐた雨合羽 踏んづけようか、桜貝なんて

酸つぱさが汗みたいだよ 雑踏で、複製されたきのふが泣いてる

キラキラの魔法が揺れる とほい日の願ひは中性洗剤の色

てのひらの熱帯雨林を守らうとしてゐたんだよ 上履きの舟

パイ生地やミルフィーユへとぶつ刺したフォーク、か細い 清潔な部屋

りんかけに失敗をしたピーナツは夕焼けの味 ねえ、もういゝかい?

2Hの芯がきしきしぐづる あの平方体の中の金魚たち

木製のペーパーナイフの役立たず、さう言へなくて 坂道、きついよ

埋められた小川を知らない子どもたちのズックの真下 プラネタリウム

おむすびのぺしやつとなつた海苔の匂ひ 洋式便器に慣れちやつてゐた

赤だとかピンクは嫌ひ 思ひ出はシャンプーハットのしたで雨漏り

森の中が安心だつた 落ちなくて残つたまゝの血液のシミ

「本当にこれでもいゝの?」 読み直しそびれた登場人物紹介

プリーツのスカート付きの水着 まだ覚えてはゐる、おとうさんの背

白い汁が茎から滲む“毒草” いつ、怖さに生まれた双子は憧れ

壊れさうな心電図の線 今なのに今はこの今、どこへ消えたの

痕跡は影法師ほど淡くつて 土、ひと塊に刻むわたくし

てのなかの至宝はひとつ 哀しみといふみづいろの猫の瞳に

ゆつくりと滴るみづを温もらせわたしは流れる 体内河川

太古には紺碧だけがあつたとふ この抱きしめてゐる微熱よりも

おぼろげな憧憬といふ罪 寄せ返す波に会へない始祖をなぞつて

精密の海に抱かれてゐるのならぶつ壊せばいゝ 風は西から

重たさが吐息くらゐに また夏の夜に柑橘類の冷たさ

この夜を縁取るやうに泳ぐ もう遥かな微熱は崩れてゆくの

くびすぢに絡める指の熱 息が詰まつてしまふことにも安堵

なぜか右が右であるとふ寂しさは半透明で ガーゼを剥がした

二分割の半分だけをひと息に握り潰した 泣かないよ、まだ

駆けてゐる間はずつと自由です ねえ、かうやつて老いるのですね

どうしてと訊きたい幼児 あなたとふ寡黙な時はみづうみのやうに

ぼんやりとわたしの中の悩乱を弄ぶ夜 少女がゐない

陸からの風と海風 わたくしの底のはうには泡の境界

とほい日を散りばめてゐる 貝殻の白さがすこし悔しいんだよ

それは川 けふまで泣いた夜の数を湛へて髪はしづかに息づく

もし、なんて言ひたくなくて 三叉路を目を閉ぢたまゝ進む決心

金網の向かうに伸びる滑走路 直視してゐるけふは空色

錯覚はメトロノームの正確性 それがヒトつていふことだらう

手離せない物ならぎゆつと目を瞑り放り投げたい わたしの刻印

昼眠る街では聞こえない海と、わたしの跡と 風速はゼロ

境界ぢやないなら定義 哀しみがエマージェンシー・カラーに染まる
















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